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風立ちぬ [音楽&映画&舞台の世界へ]

今朝、目が覚めるか覚めないかの明け方頃、祖父が夢に出てきました。
起きた瞬間に、どんな夢だったのか具体的なものはまったく覚えていなかったのですが、何かとりとめもない話をした気がします。


祖父は自分のことをほとんど話さない人でした。
小さい時はそんな祖父が怖くて、祖父が仕事から帰ってくると私は急いで隣の自宅に戻ったものでした。

でもいつの頃からか、私の方から祖父に話しかけることが増えていきました。
祖父の趣味である盆栽の話、家で飼っていた犬の話、私の仕事の話・・・。
それこそとりとめもない話ばかり。
時間にしても、5~10分、週に何回か程度。
短いけど、その距離感にお互い満足していた気がします。


そんな祖父が、私が結婚して約1年後に帰省したとき、挨拶に行った私のそばに座り、突然とつとつと話し始めました。
祖母と新婚生活について話していた私のそばで、本当に突然、“自分の戦争体験”を語り始めたのです。

自分のことを話したがらない祖父。
特に戦争に関しては、祖母からも「あまり話したくないみたい」と聞いていたので、心底驚きました。


ある日赤紙がきて招集されたこと。
戦地で何も食べるものがなかったこと。
たくさんの仲間が死んだこと。
終戦を迎えて船で帰国したこと。
日本が見えたとき、あまりのうれしさに身に着けていたものや持ち物を海へ投げ込んだこと。
戻ってみたら日本には何もなくて本当に驚いたこと・・・。


たくさんいろんな話をしてくれました。
それなのに私は、話してくれることそのものに驚いてしまって、話が全然頭に入っていなかったのです。

昔から祖母側から見た当時の話は祖母から繰り返し聞かされていました。だからこそいつか、祖父の側からの話を聞いてみたいと思っていたのに、不意にその瞬間が訪れると、自分の記憶がついていかないとは・・・。

もしかすると、祖父自身端折った部分があったのかもしれません。
人として、どうしても言えなかった部分もあったかもしれません。
でも、今思えば、話したくない過去を今話さなければ、祖父自身もう誰にも伝えられないと思ったのかもしれません。

なぜなら祖父は、その2年後に病で倒れ、言葉を発することができなくなったからです。
昨年の1月、祖父は天へ旅立っていきました。結果として、膝詰めであんなに長く祖父と話したのは、あの日が最後になったのです。


あの日からずっと、たとえ細切れな記憶でも、あの時の祖父の言葉をきちんと記憶しておかなかった自分を悔やむばかりです。
戦争を知る人が減っていく中で、たとえ口伝でも戦争の恐ろしさや愚かさ、平和の尊さを後世に伝えていくことができるのに。

終戦記念日が近づいてきたからか、ここ数日そんな後悔の念が強くなってきていました。
だから今朝、祖父が夢に現れたのかもしれません。
8月15日だからこそ、そんな私のところへ昔のように何気なく、さらっと話をしに来てくれたのかもなぁ・・・なんて。
話したことは忘れても、戦争の愚かさを忘れないで欲しい・・・と伝えたかったのかなぁ・・・って。

自分に都合の良い解釈ですけど。


だからというわけではないですが、今日は出社する相棒殿を見送った後に映画を観に行きました。
観たのはスタジオジブリの最新作“風立ちぬ”。
太平洋戦争で使用された戦闘機:ゼロ戦を作った堀越二郎の物語です。

まだ観ていない人もいると思うのでストーリーは割愛しますが、予想に反してぐっときました。
今までのジブリ作品とは一線を画した『大人のジブリ』という前評判は、まったくその通り、という感じ。

最期が一番考えさせられました。
あのポスターでも大きく書かれているキャッチコピー『生きねば。』
その言葉の意味を、最後に胸に突き付けられたようでした。

終戦記念日に祖父の夢を見て、この映画を観ることができたのは、何かの縁かもしれません。

68年前の今日に思いをはせて。


※個人的には、本編の前に予告で流れた『永遠の0』も、少なからず『風立ちぬ』を観た感想に影響を与えたんじゃないかな?と思います。
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